〈分断〉についての随想  Essay about the division

〈分断〉についての随想

〜画布の裂け目をたゆたいながら〜

シュプレヒコール。雑踏に揉まれ前方は見えない。歩き慣れない国会議事堂前。一歩一歩進んでは、少しひらけた場所へ出る。ふと視線を上げると目の前には警察官が交通規制を行っている。かいくぐるのか、迂回するのか。そして、絶え間ないシュプレヒコール。

テレビや写真といった記録で見るデモは視覚的だが、実際に足を運び参加する現場は実に聴覚的であり、接触し合う隣人を通して感じる大きな動向の息遣いを含め、その身体感覚の高揚感は彼をある種の共同体へと誘う。

止むことのないシュプレヒコールのその先には国会議事堂が見えた。決して触れる事の出来ない目前の国会議事堂へ向けて延長される身体は声となり、空気を振るわせていくばくか遠くへ飛ばされる。彼と国会議事堂という対象物を隔てていたのは不動の数十メートルの高さに及ぶ分厚い壁ではなく、警察官や護送車だった。つまり人と車である。それらは本来動的なものであって、立ち止まって流れを塞き止めるには仮設的であり、東日本大震災で目の当たりにした津波の印象も色濃く残っている現在では貧弱にすら見えるだろう。例えば俗に看板持ちと呼ばれる仕事がある。宣伝や案内表示の書かれた看板を野外で持つことが仕事になるわけだが、その人は看板という物体を不動のものではなく、有事の際に動的なものへと変えるための役割を担っているのである。それと同様にデモの進行に立ちふさがっていた警察官や護送車は、常にその進行を許す可能性をもったものでもある。言わば交通規制のための仮設的な信号機能と言ってもよいだろう。それらは決して不動の壁ではなかった。

遡れば日本の都市の多くが外敵からの防衛手段としての城壁をもっていなかったと言われている。1 それは四方を海で囲まれた島国であるということで国外からの侵略を難しくしていた点や、国内においても既存の地形を活用し、城下町という武士や町民の居住区を城の周囲に築くことで防衛機能を保持してきたからである。西欧では外敵の侵略を防ぐために城壁を築いたことで、空間的に閉鎖された内部の人間は結束力を高めてコミュニティとして団結していった。城壁による内外の分断とは近代国家の成立において、国民という共同体の統合の一助となっている。しかし西欧の城壁は一度建てると物理的に外へと拡張することが難しいため人口の増加とともに新たな都市を建設する必要があるのに対し、山川を防壁に用いていた日本の都市の多くはその境界を曖昧にしながらスプロール状の広がりを見せた。

例えばこのような城壁による対比においても、西欧的な内外の決裂は父性による切断と見て取れる。自然科学や資本主義の発展において合理性の追求のためには常に二者択一の選択がなされねばならず、そぐわないものは排除する。こうした父性に対して協調性を表すものが母性であるが、心理学者の河合隼雄はその両者を適度に組み込んだ中空構造が日本には働いていると論じている。2 天皇制が例として挙げられるように、その中心には空の存在、言わば仮想的な父性を配置することで反対に周囲の母性を機能させるという構造だ。

父と母。つまり男と女。そう言い換えると父性/母性と言い表せるほど一筋縄ではいかない現実を誰でも経験したことはあるだろう。坂口安吾は恋愛論を「恋愛とは人生の花であります。いかに退屈であろうともこの他に花はない。」と締めくくる。3 同性婚も認められる昨今、恋愛対象は必ずしも異性とは限らないが、身体的特徴からして異なる他者を理解することは並大抵のことではない。

いや、そうであるが故に人は人を愛するのだろう。そこには合理性など見つける隙もなく、もどかしい思いをどうにかこうにか「愛してる」という言葉で伝えてみたりする。発せられた言葉は視る事も触ることもできない。不安だ。何度だって言いたくなる。私の内から放たれるこの振動は空気を振るわせ、相手の鼓膜へと伝達される。言葉とは身体的接触のない知覚なのである。

ヴァルター・ベンヤミンが芸術作品の前で精神を集中する場合に人はその作品の中に沈潜すると語った様に、自らの意識を対象物へ深く浸透させていく視覚行為もまた身体的な接触のない知覚である。4

芸術作品における鑑賞という行為は主に聴覚または視覚によるものが多い。必ずしも二分できるわけではないかもしれないが、では演劇とはどちらだろうか。私は前者のように思える。つまり演劇は聴くものと捉えられる。もちろん生身の人間が動く躍動感や、役者と共にまるで演技するかのように振る舞う舞台美術は視る事でしか味わえない興奮があるだろう。しかし、一人の人間である役者の息遣いや発せられる台詞は、舞台と客席、役者と私という二分された世界を股にかける唯一の湿度のある交流ではないだろうか。役者ばかりではなく観客を含めそこに居合す人々の微かな息遣いや鼓動すらもその時の演劇を成り立たせる大切な要素であり、こうした空気は光学的刺激にまして全身で聴くものに思えるのだ。

さらに続けるならば、絵画はどうだろうか。もちろん私自身、ベンヤミンを引用して作品への意識の沈潜は視覚をもって行われると前述したばかりだ。しかしベンヤミンは芸術作品への意識の沈潜に対し、散漫な大衆は自己の内部へ作品を沈殿させると説く。

そして弁証法的に個人と対置された散漫な大衆が自己の内部へ沈殿させる作品の例として建築を挙げている。習慣を通して享受される建築は、絵画を前にした集中とは異なる方法で私たちの側にあるものだろう。遡れば絵画も宗教的体験を助長するために教会という建築と一体の物であった。教会では賛美歌の反響とともに人々の目に触れていたことだろう。そこから引き剥がされた絵画は美術館の中で私たち同様に私語を慎むようにひっそりとしているのかもしれない。

ならばここで絵画の声にも耳を傾けてみたい。声は私とあなたの間に満ちる空気の振動によって伝播される。そうだ、音は空気の振動。反復を描く振動の波形。寄せては返す波である。決して定着することのない無形の音は、その音を聴く者の存在によって立ち現れる。

ムカイヤマ達也の絵画を見ていると、支持体に層を成して塗られた色彩は流れ去ってしまうように波打って見える。寄せては返す色彩の波は定着をも拒み、目を離した瞬間に小景の彼方へ引き返してしまうようだ。するとこの画布の上にはレコードの溝が音を記憶するように本来無形の音が辛うじてしがみついているのかもしれない。

色彩の波を纏う画布。その波の音を聴くためには海の中に沈潜するよりも、波打ち際で心穏やかに佇む方が良いだろう。それはちょうどモーリス・メルロ=ポンティが主体を取り巻く世界は意識に先立って存在するものではなく、自身を知覚している他者こそ主体を存在せしめる意識を持つものとして、現象学における相互主観性を説いたように、私と諸対象の間に豊潤な空間を育むことで聴くことができる音なのかもしれない。そして大切なのはその音に耳を傾けることができるかどうかだ。SNSには身勝手なタイミングでキーボードを叩けるかもしれない。しかし、生身の私が五感で体験する時間には常にサイクルがある。昼と夜、飲食と排泄、上下左右、こうした動と静の順序の中に私とあなたがいる。私があなたの声を聞く時、私があなたに話しかける時、それは合わせ鏡のように相手の中に私という存在を認める時にこそ、対話が成り立つのではないだろうか。

自己と他者との間における関係性として次のような例も挙げられる。内田樹は福岡伸一の〈平方根の法則〉を引き合いに「原子の動きはランダムであり、微粒子を空中に分散させると平均的には重力によって落下するが、統計学的に粒子の総数の平方根は例外的な振る舞いをする。ならば緊張せず、身体の気を抜いた状態を保ち、揺れ動く粒子の総数を増やせば運動の精密さは増し、誤差は軽減できる。」と述べ、「武道においては自分と相手、粒子の総数は倍である。」と綴っている。5 自己と他者の身体的隔たりもこうして考えてみると融解していくような気がする。では無数の人間が動き回る舞台ならどうだろう。いや、劇場空間をも飛び出し、日常生活における人々との交流の中では一体どうなるだろう…。

絶え間ないシュプレヒコール。寄せては返す波。

あの場に一体どれくらいの人が集まっていたのだろう。

ここで筆者は特定の政治的立場を表明したいわけではない。ただ、現在私たちが抱える問題の多くは、こちら側の私でもあちら側のあの人でもない者によって分断されてしまっていることが多々あるように感じるのだ。しかし、一度隔てられてしまった他者と再び相容れるには分断を超える大きな力が必要になるだろう。

対話とは両者が互いの中に自身の存在を認めるときに成り立つ。つまりこの人は私を認識してくれているというある種の充足感だ。反対に他者を容認するとは、自らの志向性の内に相手を押し込むことではなく、その限界を超える存在の可能性を常に意識する不断の努力なのではないかと思う。世界が私の認識を超えて存在しているならば、自らが変わることを恐れない覚悟を持つこと。それは私という存在の孤独さに立ち返った時にこそ、寄せ返す波のように揺れ動く粒子を増やし、他者の存在に震えることができるのだろう。

これは、色彩のその奥で震える画布の言葉を、または向こう側で佇む人の声を、彼岸に聞こえる波のさざめきを聞き逃さないためのささやかな決意である。

インディペンデントキュレーター 青木彬

1 日端康雄.都市計画の世界史.講談社.p57

2 河合隼雄.中空構造日本の深層.中公文庫.p58

3 坂口安吾.堕落論.角川文庫.p169

4 ヴァルター・ベンヤミン.複製技術時代の芸術.晶文社.p44

5 「内田樹の研究室」blog.tatsuru.com/2007/04/22_1120.php

 

Essay about the division

With drifting in a slit of the canvas

Roars of group for protests.Crowds blocked the sight ahead. Awkward steps to take in front of the Japan Parliament. One step made another. I found myself in a relatively wide open space. When raising my face, the group of police engaged in the traffic control. Were we going to sneak through, or go roundabout? The roars seemed to continue endlessly.

Political demos that we saw on TV and photos had the visual impact, however, the demo on site that we participated in actually gave us the auditory perception of ongoing. Including the, the experience that we felt from the bodily excitement took us to a certain community.

Beyond the endless voice of the crowds, we saw the building of Japan Parliament. Those were merely projected from the mouths of crowds of people to the direction the building of a long distance ahead. Forward, yet to be reachable. The physical obstacle existed between people and the building was the police and their vans, not a bulky wall. Simply speaking, men and vehicles. Those hindrances were to be fluid in nature, on the other hand, using them to stop the flow seems to be quite temporal. They even looked vulnerable particularly because of the traumatic experience we saw on the TV report of tsunami disaster in East Japan Earthquake. Elaborating the logic relatively, there was a job for holding a sign. The apparent purpose was to hold a sign with commercial messages or the guidance outside, however, their role is to make stability fluid when it is necessary. The police and their vans that were assigned to block the flow of the demo potentially held the possibility of the grant to proceed. That is to say, it worked nothing more than a barricade with a function as a traffic light. It was not an immobile wall.

Taking a look back to Japan’s history of city defense, they didn’t relay on the walls to protect from outside attacks. (Hibata p57) It is not only because Japan is an island country where the invaders needed to break bones to go over the oceanic boundaries, but also the cities successfully maintained its defense by building civil and samurai residence around the castle on top of the preexisting geographical advantage. In the western culture, people created walls around the city to prevent invasion, thus they eventually strengthened their power of community while living within a limited space. Dividing the outside enemy and inside home, as for the modern nations, helped form the integrity of citizens as a collective. While the western cities had difficulties in physically expanding their size once the walls were built and they needed to create new ones as the population increased, cities in Japan with rivers and mountains as the protection made their boundaries vague and sprawled their vague boundaries.

As seen in those comparisons of walls, the western style of home-outside division could be perceived as its paternal disconnection. The severe selections always had to impose the choice between the two for the rational pursue in the natural science and in need of development of capitalism. If the choice was unmatched, one had to be eliminated. Against this paternity, perhaps the cooperativeness meant the maternity. However, the psychologist, Hayao Kawai, argued that Japan held the influence of the hollow structure in its society moderately including both paternity and maternity. (Kawai p58) As he exemplified in the emperor system for instance, Japan contained the unique structure. Placing an insubstantial presence, in other words, placing the virtual paternity in center, which created the function of maternity in the vicinity.

Father and mother, more simply describing, man and woman. We, more or less, never had an easy go-through without complications so as to express in such simple words as the paternity and maternity. Ango Sakaguchi concluded his argument of love as “falling in love is the flower of life. There is no other flower no matter how boring it might be.” (Sakaguchi p169) Even though the same-sex couple marriage publicly recognized nowadays – someone’s significant other did not have to be the opposite sex, understanding the others who essentially possessed the different physical feature was indeed extraordinary. Perhaps, we loved because it was. Because we knew there was no space for reasonability, we said ‘I love you’ in order to somehow handle the inexpressible feelings. The words expressed were untouchable, therefore it made us very uneasy. That was why we wished to say over times. The impulse generated in one’s body would resonate in the air to other’s ear. The vocalization was the means of cognitive communication of no physical contact.

As Walter Benjamin mentioned that an artist would dedicate his soul deeply inside when he concentrated in front of the art piece, the visual cognition that would bring one’s conscious deeply into the art object was also nothing but the one without the physical contact.

Many of art viewing took the sensational involvement of ears and eyes. Although it seemed not necessary to break those into two, how could we consider watching theater? I thought the perception could predominantly be done by ear, thereby we heard the theatrical plays. There was, of course, the intangible excitement only perceived through watching the dynamic actions performed by real human and the spectacular stage art as if it seemed acting as one of the excellent expressers altogether. However, couldn’t the vocalization and breathing made by a real flesh actor be a vigorous communication bridge between the two separate sections, the stage and audience, or actors and self. Not only the actors, but the subtle breathing and heart beat of audience and all people involved also took the constituent role in making a theater stage live. Thus, I conceived that we heard to feel the theatrical experience through the entire body, stronger than any other optical stimulus.

If we were allowed to go furthermore, what about the picture. As I mentioned in former paragraph by quoting Benjamin’s words, sinking one’s conscious into the art involved the action of seeing. However, as opposed to his insight, the discursive public insisted that they apted to sink the art into themselves.

And, the result of dialectic comparison between a individual artist and those public was discussed in the analysis of architecture. The buildings that were accustomed to our daily life stood by us in different concentration than what was dedicated in art. The pictorial art was considered, in the past, as one of the architectures that helped the ritual experience. In a church, the devoted might have had seen one amongst the resonation of hymn. In the present time, on the other hand, the picture that was peeled away from the church might remain in an art museum as silently as we did

Having mentioned the picture,we might as well listen to the voice of them. The voice normally traveled forward by the vibrations of the air in space. As you might know, the sound was a vibration of the air. The wave that drew the undulating pattern. It was the wave that came and went. The unfixable and shapeless wave of sound could only be realized by the hearer’s cognition. Seeing Tatsuya Mukaiyama’s art pieces looked to have wavy motions as if the colors pained on the canvas were flowed off. The restless waves of colors rejected to be settled, and withdrew and were gone forever as soon as we put our eyes off. As the result, we could see the shapeless waves have barely left their evidence of presence on canvas as if those of sound would do on a music record.

The canvas that contained the waves of colors. It was better to remain silent deeper than sinking under the sea in order to listen to those sound of colors. As Maurice Merleau-Ponty explained the intersubjectivity in the Phenomenology of perception that the world around the subject didn’t exist before the mind, but the objective others possessed the meaning that embodied the subject’s existence, the sound might be audible if we were able to foster the rich relationship between self and objects of waves. And more importantly, the key should have lain whether we were able to give ear to them.

As opposed to being impassive as making senseless tapings on SNS keyboard, the time human being would experience always carrfied its cycle that was perceived through five senses. Day and night, eat consumption and excrete, directional balance. There were self and others in between the motion and static. When I heard you and you heard me, the communication was only successful if we saw each other’s existence in mirror.

To desicribe the relashionship between self and others, below was listed. Tatsuru Uchida explained his arument by quoting Shinichi Fukuoka’s the Law of Square “the movements of atom is random, and particles will drop in avarage by the gravity when spreaded in the air, however, the cube of total number of particles behave exceptionally. If that is so, remain free of tention, and hold the body relaxed. To increase the total number of vibrating particles makes the movement of them intense. The errors may decrease.” and also mentioned that “the total number of particle is double when it comes to marshall arts. (Uchida)” if we had a chance to take a deep look like this, the separation between self and others might dissolve. How could we apply to theather where a number of actors interact? What would happen, beyond the stage, if this would be within the ordinary life of people’s communications.

Restless voice of roars. The tide that surged and reversed. The number of people gathered at site was uncertain. Although I did not intend to express my personal political belief here, more often than not, I strongly felt the separation was forced to create for the sake of something that was more powerful than the people beyond the barricade or the people behind. And, more energy should be required than separation in order to retrieve the harmony between others once the relationship was disconnected.

The communications was only successful when the participating talker acknowledged each other. That was to say, a certain satisfaction to feel that the other talker recognize the other self. Meanwhile, to recognize others did not merely stand for thrusting other into someone’s mind, but it was done by a constant practice to be aware there always existed a possibility of bigger others to exceed one’s limit. If world had existed beyond one’s own conscious, it was important to have no fear for changing self. You would find it at home when visiting your own sense of disconnectedness. Resonating with others would be only possible when increasing the number of particles of endless tidal movements.

This was the determination not to miss the sound of shivering voice of colors beyond the canvas, the voice of someone standing on the other side of separation, and the sound of wave breaking against the other side of the bank.

“Essay about the division” written by Akira Aoki ,

translated by Syunsuke Kitahara